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歴史探訪 史跡見学②「実花周辺を歩く」

11月11日(木)、よく晴れた暖かいお散歩日和に、第二回歴史探訪が開催されました。全3回のうち、最も行程の長いコース(約4km)となります。

はじめに、講師の 笹川 裕 先生より、実花公民館で実花新田の歴史についてお話を伺いました。

現在は「実花」という地名はなくなってしまいましたが、かつて実花地区には実花新田がありました。実花新田は享保年間(1716~1736)に、幕府の軍馬を育てる小金牧の一部を、薪を採取する林畑として開発した新田です。小金牧は千葉市から野田市のあたりまでを含む、広大な牧でした。薪は今でいうガソリンのようなもので、薪炭商は江戸商いをして、津田沼村内で「最も富める者」だったそうですが、やがて乱伐等により、東北地方の薪におされてしまったそうです。

沢の名残

実花新田には6軒の屋敷地があり、絵図面も残されています。場所は愛宕沢と書かれており、現在の日立産機システム工場内と考えられます。

その近辺には、当時の沢の名残も見られます。

小金牧の林畑のほとんどは松でした。松のほうが火力が強く、塩を作る時に最初に燃やす木材に使用されるなど、用途も多数でした。今もその名残として、実花地区には松の木が多く見られます。

習志野原練兵場にあった「支那圍壁砲台」は、昭和9年に工兵隊によって、中国の家屋を模して建てられました。おそらく中国大陸に派遣される部隊の訓練に活用されたももでしょう。現在は個人の住居となっております。

今回は特別に許可をもらい、敷地内に入らせていただきました。

 

ドイツ捕虜オーケストラの碑は、大正4年9月に東習志野に開設された習志野捕虜収容所において、ドイツ捕虜がオーケストラ活動をおこなっていたことを記念する碑です。

 

第一次世界大戦後、国際社会に加わるために、捕虜に対して厚遇をしていました。

また、日本で最初にハムを作ったのも、習志野のドイツ捕虜と言われています。ドイツ文化が捕虜収容所から日本に浸透していきました。

休憩場所の東習志野コミュニティーセンターには、本来の土手の高さに松が植わっていました。

京成実籾駅から習志野高校に向かう途中、いろは文具店のあたりに、かつて実籾木戸と呼ばれた牧への入り口がありました。牧と周辺の集落は、土手や堀と谷津で緩やかに仕切られていました。

実籾八幡稲荷神社は、弾除け信仰もあったそうです。

境内には「軍用地」の文字が残されていました。

神社を後にして、マラソン道路を通り、愛宕の名を残す愛宕橋で解散となりました。

次回は11月25日(木)です。お楽しみに!

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開館時間:09:00〜21:00休館日:月曜日

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