地域歴史探訪講座「習志野市の街道を往く」事業レポート
今年度も千葉県文書館古文書調査員、笹川 裕先生に講師をお願いしてコースをめぐりました。
1日目は、東金御成街道の天戸椎の古木から福寿院、花島観音堂と回りました。
この地には花見川が流れており、この花見川は、印旛沼の水を東京湾に逃がすために作られた開削水路です。この開削水路工事は、江戸時代から3度も計画されましたが、土壌が脆く自然災害に見舞われたためすべて頓挫してしまいます。ようやく完成したのは昭和になってからで、完成まで実に250年かかってしまいました。
2日目は、山縣飛行士殉空之地の碑から旧伊藤飛行機研究所跡、八剣神社、旧菊田川遊歩道を回りました。
山縣飛行士は、伊藤飛行機研究所のパイロットで、1920年に鷺沼の上空で宙返り飛行の練習を行った際に翼が折れ、墜落して亡くなりました。山縣飛行士殉空之地の碑は、享年23歳という若さを惜しみ鷺沼の地に建立されたものです。
3日目は、市立習志野高校(糧秣廠倉庫跡)から鉄道連隊の道、陸軍の鉄道(現マラソン道路)を下り、第二中学校(東金御成街道一里塚の木)、陸軍習志野学校跡(習志野の森)と回りました。
糧秣廠とは、演習場へ来る諸部隊や騎兵連隊などに兵馬の食糧を供給する施設で、おもに馬の干し草の手当のために作られたようです。その干し草の運搬用に鉄道が敷かれ、その施設跡を歩きました。
参加者からは、市内の街道沿いにはいろいろな史跡があり、習志野の歴史をよく知ることができたと感想がありました。これからも、このような散策を計画してほしいとの要望も多数聞かれました。